国宝など文化財に指定された鎧兜の修復を手がけてきた甲冑師(かっちゅうし)の、森崎干城さん。
兜には、武将たちが特別な思いを込めていたと言います。
「戦国時代は死との背中合わせ、身を守るだけでなく、かっちゅうは、死に装束ともなります。自分の思い入れもかなり入っているので、威厳と風格だけではなく、信仰や大切なものが盛り込まれています。」
武将の思い入れが凝縮している場所、それが、たてものと呼ばれる兜の飾りです。
前の立もの、「前立て」は、不死身のシンボルとされた月。
脇には鹿の角をかたどった立て物。神の力が宿るとされていました。 武将ファッション、最初のツボは、 「立てものに武将の心意気あり」
戦国時代に入ると、刀による一騎打ちから、鉄砲を使った集団戦に戦い方が一変します。
戦場で主君に手柄をアピールしたり、家臣に無事を知らせるため、派手な兜が必要になったのです。
ところで、こんな大きな「立てもの」を付けて、重くはなかったのでしょうか。
「この鹿の角は根元の部分だけ木でできていますが、のこりは、紙と漆でできていて、とても軽いものです。馬に乗って走った際枝に引っかかっても折れるように。折れないと、兜の緒で首をやられるので、壊れやすいように作ってあります。」
やがて、立てものが鉢の部分と一体化した「変わり兜」が生まれました。